「毒」がなくてはつまらない  「蜜」がなくては諭しめない  「骨」がなくては意味がない

Opinion|2021/01/11|岡田 力(朝日新聞教育総合本部・教育コーディネーター)

報道の使命を肝に銘じれば癒着なんて起きない
AIにできない記者の仕事

 インターネットとSNSの発展でジャーナリズムを取り巻く環境は大きく変わりました。だれもが発信できる時代だから、わざわざテレビ局や新聞社の報道記者を目指さなくても記事のようなものは簡単に書けます。それでは報道記者の仕事は無くなってしまうのでしょうか。私はそうは思いません。記者には事実を一つ一つ確認して積み上げ、ものごとの真実に迫ることができます。これは人工知能(AI)でもいまのところ真似できません。この真実に迫る力を取材力と言います。取材力をベースに、報道のあり方を考えてみます。

報道とは「毎日出される課題」に応えること

 記者の仕事を一言でいうと、「この事象がなぜ起きたかをレポートにしなさい」と毎日課題を出されるようなものです。ルールは「事実だけを書く」だけです。取材の方法については何の指示もありません。
 例えば、国会で審議が中断していたら、「なぜ審議が中断してるかをレポートにしなさい」と言われるわけです。そこでみなさんは国会議事堂に行ってみます。ところが国会議事堂に入ってみても、何がどうなっているのかさっぱり分かりません。議員たちが控え室を出たり入ったりしています。議員に聞いても要領を得ません。なぜなら議員たちも国会で何が起きているか、これからどうなるのかが分からないで右往左往しているからです。
 ここでアドバイスしますが、キーパーソンを探すことです。今後の国会運営を与党はどうしたいのか、野党はどう戦うのか。それらを掌握している立場の人を見つけ出し、話を聞いていく。与党側のキーパーソンと野党側のキーパーソンから話が聞ければ、今どうなっていて、今後どうなるかが分かってきます。ですから、まずしなければいけないのはキーパーソンを探し出すこととなります。
 では、キーパーソンをどうやって見つけるかですが、とりあえずいろんな議員や国会の職員に聞いてみましょう。みなさん忙しいから、つっけんどんにされるかもしれません。それでもめげずに聞いてまわると、一人くらい親切に教えてくれる人が必ず現れます。そういう人からの情報でキーパーソンを割り出します。ここで取材のコツですが、この教えてくれた人を大事にして、今後もつき合っていくことです。会うたびに、いろんなことを聞いてみましょう。この人はキーパーソンではありませんが、国会内のいろんなことを教えてくれ、アドバイスしてくれる可能性があります。こういう自分にとっての味方を増やしていくことで、より多くの情報が入るようになるわけです。

キーパーソンの本音を引き出す

 さて、キーパーソンを割り出したら、その人の本音を聞けるくらい親しくなりましょう。方法は何度も会うことです。それもできるだけ一対一で会うように心がけましょう。それとその人のいろんなデータを頭に入れておきます。趣味が読書なら、その人が読んでいる本を読んで感想を言ってみたり、その人がまだ読んでいなくて、興味を持ちそうな本を読んで紹介してあげたりすることで距離が縮まります。
 大事なのは、目的の「その人の本音を引き出す」を忘れないことです。相手が政治家で、自分よりかなり年上の場合、相手に利用されてしまう危険が常にあります。「相手に気に入られよう」が目的になってしまうと利用されてしまいます。あくまで「本音を引き出す」が目的で、その手段として「親しくなる」のです。手段と目的をはき違えないようにすることがとても大事です。これを間違えると「癒着」と言われ、あなたが発する報道自体の信用性が落ち、報道全体の信用性も落ちてしまいます。
 国会取材の例で説明しましたが、基本的には事件現場でも経済取材でも国際報道でも同じです。一人の記者が全体を把握しようとするには、それぞれの取材先が知っている事実を集めるしかありません。複数の取材先から集めた事実の断片から、「何が起こったか」をあぶり出していくわけです。
 これまでの説明で「なんか難しそうだな」と思ったかもしれません。確かに簡単ではありません。でも、こうやって自分の味方を増やし、キーパーソンにくい込むことで、それまでさっぱり分からなかった国会での出来事が、手に取るように分かってきます。これは霧の中をさまよっていたら、急に視界が開けて周りの様子がいっぺんに見えるようになった感覚で、きわめて爽快です。この爽快感を持って「こういう事だったのですよ」と読者や視聴者に伝える。これが記者の醍醐味です。

伝えなければならないこと

 さて、取材でいろんなことが分かってきたとします。あなたは記者だから、「何がどうなっているのか」を伝えなければなりません。でも、取材したすべてを伝えることはできません。つかんだ情報を取捨選択します。このときの基準が「公共性」です。取材の過程で、「父親の議員と秘書をしてる息子との仲が悪い」とか、「○○議員と△△議員は犬猿の仲だ」などの情報も入ってきます。こうした情報は取材を進める上では参考になりますが、この関係が政局や政策に影響しないかぎり、プライベートなことであり、公共性はありません。ですからこういう情報は基本的には報じません。(政治の内幕を描く企画などでは使う可能性がありますが、その場合、本当に仲が悪いのかの事実確認が必要です)。
 公共性とは「読者や視聴者に伝えなければならないこと」と言い換えができます。この「伝えなければならないことを伝える」ために記者は存在するのです。自分の味方を作ることも、キーパーソンにくい込むことも、すべて「伝えなければならないことを伝える」ための手段だったわけです。
 私の場合、記者が存在するのはこの公共性のためであることを取材先に必ず説明していました。お互いにお互いの立場を理解し、尊敬し合える関係を築けば、たとえ相手が違法な賭けマージャンが好きだったとしても、それにつき合うのではなく、「やめた方がいい」とアドバイスできたはずです。目的が「伝えなければならないことを伝える」から、「この人と親しくなれば特ダネがもらえる」「社内で偉そうにできる」「出世できる」などに変わってきてしまうと、それを相手も感じますから、利用されやすくなるわけです。読者や視聴者に「伝えなければならないことを伝える」という使命を忘れなければ癒着は回避できるのです。

透明で立体のジグソーパズル

 「伝えなければならないことを伝える」の中身ですが、それは事実です。記者が情報をつかみ、裏付け取材をして確認した事実を集め、真実を浮かび上がらせるのです。私は学生に説明するとき、真実とは「透明で立体のジグソーパズル」と表現しています。事実というピースを集めて、この透明で立体のジグソーパズルにはめていくと、形が徐々に分かってきます。立方体だったり、円柱だったり、球体だったりするのがだんだん分かってくるのです。でも、このジグソーパズルはすべてのピースを集めることは不可能なのです。ですが記者は一つでも多くの事実のピースを集め、立体の形という真実を浮かび上がらせるしかありません。
 精いっぱいピースを集め、「これは円柱だ」と思ったとします。ところが、さらにピースが見つかって、この円柱には取っ手がついていることが分かり、「円柱と思ったが、コーヒーカップだった」ということもあり得ます。新事実の発見で、真実の見え方が変わることもあるわけです。
 さらに、右から見たら「コップ」に見えたが、左から見たら取っ手が見えて「コーヒーカップだった」ということもありえます。見る方向によって真実の形が違って見えたのです。たぶん「本当の真実」というものは存在するのでしょう。でも、それは「神のみぞ知る」世界だと思います。人間である記者はひたすら事実のピースを集めて真実に迫ることしかできません。でも、一歩でも真実に近づき、それを伝えることが記者の使命だと思います。

主観を装った客観

 最後に主観と客観の話をしなければなりません。ネットで記事を配信する場合、これまでの客観報道が通用しなくなっています。客観報道とは、「私」という個人の目を捨て、まるで空から全体像を見ているように書く報道の仕方です。個人の主観を排除し、客観的にものごとを伝えるメリットがありますが、多くの場合、「警察によると」「政府は」など、権威ある当局に頼る報道になってしまい、発表ジャーナリズムと揶揄されることもあります。
 この客観報道が報道の主流だったのですが、ネットでは「他人事のようで冷たい」印象を持たれます。そこで記者本人の思いなどを織り交ぜて伝えることが主流になってきています。でも、「事実を伝える」という使命と、「主観的に書く」は矛盾します。それに主観報道は事実確認が甘くなるという問題点もあります。みなさんは日記を書いたことがあると思いますが、日記を書くのにいちいち確認はしませんよね。あくまで日記の書き手である「私」がどう思ったかが書かれていれば文章として成り立つわけです。
 これまでの客観報道は当局や識者の言葉を借りて、実は記者が言いたいことを書く「客観を装った主観」が出来てしまい、それが読者や視聴者に見透かされたのが今の報道の信頼性を下げていると朝日新聞の原田朱美記者は指摘しています。そうではなくて、事実確認を徹底した上で、記事にするときは記者個人の語り口で書く「主観を装った客観」が必要になると原田記者は説いています。私もこの方向性ではないかと思っています。

 客観報道と言っても、記者には問題意識があり、何を取材しようとするかから記者の主観は入ります。しかし、実際の取材では思い込みを排除して、事実を一つ一つ確認し、見極めていく。その過程で、対立する二つの陣営があった場合、それを両論併記するのではなく、審判のように「こっちが正しい」とジャッジしていいと思います。ただし、それには記者が公平な目で事実を確認してジャッジしているという信頼があることが大前提です。こうした信頼を培いながら記者の思いも記事に入れる、「主観を装った客観」がこれからの記者には求められていくでしょう。


岡田力氏写真
岡田 力(朝日新聞教育総合本部・教育コーディネーター)
1985年産経新聞入社、92年朝日新聞入社。水戸支局、東京本社社会部で警視庁、警察庁、調査報道などを担当。地域報道部兼社会部デスク、ジャーナリスト学校記者教育担当部長、長野総局長、月刊Journalism編集長を経て現職。著書に『報道記者の原点』(リーダーズノート社)


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