〜5つの定性的な世界〜
「日本型経営」の進化と
「次世代リーダー」の要件
(株)リクルート
川原信
エグゼクティブプロデューサー
『大統領のつくりかた』
〜トップリーダーへの戦術と戦略〜
ジャーナリスト/堀田佳男インタビュー
 
 
 
 

リクルート 川原信宏「日本型経営」の進化と「次世代リーダー」の要件


西川嘉伸(にしかわ よしのぶ) 全日本空輸(株)取締役国際本部長、同社取締役ニューヨーク支店長 (株)インフィニトラベルインフォメーション代表取締役社長、 沖縄全日空リゾート(株)代表取締役社長を経て、現在、(財)沖縄こども未来ゾーン運営財団専務理事



イギリスでの交渉
 

昭和40年代の半ばから後半頃の話である。私は、全日空の人事部に所属していた。当時の日本の航空会社では、パイロットが不足しており、国内の航空大学校での養成だけでは間に合わず外国での訓練に依存せざるを得ない状況であった。気候の良いアメリカの西海岸や、長年外国の訓練生を受け入れ優秀なパイロットを養成してきたイギリスなどが候補地にあがっていた。

検討の結果、私たちはイギリスのオックスフォード郊外にあるヨーロッパ最大のパイロット訓練学校と、契約交渉を開始することになった。アメリカに比べて人件費がかなり安かったこともあり、交渉は順調に進められた。交渉相手は訓練学校の校長と部長クラスのエアポートマネージャー、それに総務部長であった。こちらは、乗員養成や乗員管理の部長と人事担当の私であった。技術関係の分野では問題なく、満足すべきものであった。

しかし、イギリスで自家用操縦士の免許を取得して、帰国した際に、日本政府が実機を飛ばして実地試験を経てからでないとわが国の免許を発行することができないという問題が出てきた。日英両国間では、操縦士の免許を認め合う相互協定ができていなかった。日本政府は、自国の航空会社が外国で乗員養成を可能にするために、相互協定を締結することに同意してくれたのであるが、英国政府が頑強に反対した。日本が一方的にイギリスの免許を認めるべきであるというのである。私たちは困惑した。会社としては、イギリスの主張を受け入れてくれれば助かるが、国家の威信に関わるような屈辱的な申し入れに同意してもらいたくはなかった。交渉は完全に暗礁 に乗り上げたまま、深刻な事態となった。その時、イギリス側の交渉相手の1人が私に言った。

「日本政府はほんとうに馬鹿だね。世界で一番優れているイギリスの免許を認めようとしないんだから」

この一言が私の胸に突き刺さった。その瞬間、私は、立ち上がり、目の前の書類をひっくり返し、我を忘れて下手な英語でまくし立てていた。

「冗談じゃない。日本政府は相互に認めあおうと言っているのだ。自分の国が一方的に強く正しいという前提で、相手を批判するのは思いあがりではないのか。今、英国病が蔓延しているなどと悪口を言われているのはそういう考え方に原因があるのではないのか。日本は、まだまだイギリスより給与も低いし、負けているところが多い。しかし、近い将来、経済的にもイギリスを抜いてみせる。あなた方がそんな姿勢で交渉しようと言うのなら、この契約は断念せざるを得ない」

まさに若気の至りであった。その後、どうして良いか分からずそのまま、ホテルに帰ってしまった。

悶々々とした一夜が明けた翌朝、先方から使いの人がやってきた。もう一度話し合いたいから来てくれと言うのである。私はいずれにしてもこのまま帰国するわけにはいかないと思っていたので、早速、準備をして相手のオフイスに向った。先方の責任者が昨日の非礼を認め詫びた上で、打開策を検討しようと言い出した。私もいい過ぎた点を謝り、提案に同意した。

暫く経ってから、私たちは、双方とも納得できる合意点に到達すことができた。英国政府がライセンスを相互に認め合うことができないというのならば、日本政府は英国のライセンスを一方的に認める必要はない。しかし、日本政府が委託先のパイロット養成学校を審査し、その内容が日本政府の要求する水準を満たしていると判断した場合は、日本政府の公認学校と認定するという結論である。もちろん、日本に帰ってから実機による試験を受ける必要はない。

その後の交渉は円滑に進み、日本の運輸省航空局から派遣された検査官による審査も無事に終わり、契約は成立した。それから何年かの間、百人を超える訓練生を送り込んで訓練が実施された。その訓練生の中には、現在、東京-ロンドン線に就航している全日空便のキャプテンもいるはずである。

そのようなことがあって、その学校と契約の交渉相手、訓練関係者などとの交流も相当活発になった。東京で囲んだしゃぶしゃぶの鍋も楽しかったし、オックスフォード郊外のローストビーフも格別 の味であった。訓練の契約が終了後も私たちの友好関係は続き、何年か毎に、出張の機会などに、お互いを訪問した。今では残念ながら、交渉相手の3人のうち2人が他界して寂しい限りである。しかし、英国は私にとって最高に好きな国の一つになっている。いずれにしても、私たちが日英両国の間に残した友好関係はビジネス以外の分野でもきわめて大きなものであったと自負している。そして、お互いに言いたいことを率直に表現しても、信頼関係が崩壊することはなかった。

若い頃のイギリスでの契約交渉の経験は、その後の私の人生に少なからず影響を与えている。言うべきことを言うべき時にはっきりと言う、相手の言うことをよく聞き、尊重する。そして、自分を良く知り、プライドを大切する、などのことを実行しようと努力してきたつもりである。もっとも、思ったようにはできず、反省することが多い。

いつの間にか私も歳をとって、ビジネスの生活も終わりに近づいてきた。近い将来、イギリスに行って、旧知の友人に会って旧交を温めたい。そして、若い人たちに託す、来るべき次の時代のことをゆっくりと話し合ってみたいと思っている。

西川 嘉伸 にしかわ よしのぶ


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