「毒」がなくてはつまらない  「蜜」がなくては諭しめない  「骨」がなくては意味がない
「毒」がなくては詰まらない 「蜜」がなくては愉しめない 「骨」がなくては意味がない
LEADERS NOTE
「毒」がなくては詰まらない 「蜜」がなくては愉しめない 「骨」がなくては意味がない

【信濃毎日新聞 2013年6月30日掲載】


ユートピア論をバサリ

普段から周囲の「スマホ中毒者」や「会議中にフェイスブックを熱心に見る人」を苦々しく思う人が溜飲を下げるような書名で、「どんだけヤツらをたたいてくれるのかな、ガハハ」と期待するかもしれない。だが、そう安易には読めない。 ネット・コミュニケーションや人々のネットの使い方を扱いながら、主題はあくまでもネットがない時代の思想家(マクルーハンら)の論がいかにネット社会でも通用するか、にある。 「賢い者はより賢く、馬鹿者はより馬鹿に」「『絆の予感』による高揚感に酔いしれたあとに起こるのは、ぶりかえしによる極度の孤独」など、ネットに懐疑的な文言が並ぶ。ネットの可能性に興奮し、明るい未来を説く前向きなものが多い中、そうした論をバッサバッサと切り捨て、特にタラ・ハントの著書「ツイッターノミクス」への評価には怨念すら感じる。 いや、そうではないだろう。 ハントは、ツイッターなどを通じて得られる「社会的な信頼」の単位として「ウッフィー」なる値を提唱し、これをいかに経済的利得につなげるかを解説した。ネットを使えば誰もが幸せになれる、とする典型的なユートピア論である。 この論がいかにのんきで取るに足らぬものか─。著者は明確に「勝てる戦い」を仕掛けている。市場のパイはゼロサムで、もうかる者があれば損する者が出るという当然の原理を示し、ハントを「爆笑」するのである。 こうして書評を書く私も前半は苦痛だった。恥ずかしながら、登場する数々の思想家のことを何一つ知らなかったからだ。著者は知識をひけらかし、私のような愚民に「おまえはこの本を読む資格がない」と言いたいのかと思ったほどである。 ただし、そうした苦痛を乗り越えた先の最終章は、ジャスミン革命がイランやガザ地区で起きなかった理由や「アップル=脱獄」論など。「馬鹿」でも分かる話で救われた。


LEADERS NOTE
「毒」がなくては詰まらない 「蜜」がなくては愉しめない 「骨」がなくては意味がない